日々のこと

ゴミクズの権化みたいな義父と18年間戦った結果 最後はあっさり決着がついた話 後編

前回のお話はこちらから

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さて、警察沙汰もなんとか終結し、高校三年の夏休みが終わって、

受験目前!というすんごいすげえ()時期でようやく父親がいなくなりましたが、

今回はその続きからです。

 

 

 

 

空白の二年間 過去人生で最高潮に幸せな時期

 

もうほんっっっっっとう、 に幸せなひと時だったと家族全員口を揃えて言っています。

食事中は口を開かないことが危険やいざこざを回避する秘訣

という暗黙のルールがあった私たちですが、

義父がいなくなってからはそんなの関係ねえ!と、DKではなく、

リビングの方でみんなで仲良く(しかもテレビを見ながら‼︎)食べることになりました。

 

ンアーッッ楽しいイイイッッ!!!!

 

夕方家に帰って来ても普通に中に入れるし、

皆でご飯を食べながらアドベンチャータイムを見て笑いながらおしゃべりできる。

お風呂は何分入ってもいいし、ずっとお湯のまま!!

こんなに最高なことがこの世にはあるんだ!と、

毎日毎日これ以上ない幸せに満ちた気持ちで過ごしていました。

 

自分の好きなように冷蔵庫を見て飲み物を飲んだり

お母さんと自由に喋れたり休日は皆でお出かけできるなんて

義父が死ぬか離婚が成立するまでこういうことはできないんだろうなぁ…

と思っていたので、まさに僥倖というやつでしたね。

 

しかし、まあ世の中には長続きしない幸せというのがありまして…

 

 

 

いきなりの帰還宣言。じゃけん家から出て行きましょうね〜

 

2年後、2016年の初春頃でした。

義父から、

「春にそっち(和歌山)に帰るから、あいつをそれまでに追い出しておけ」

という内容のメールが届きました。

私としては

「ウワー遂に来たかオッサンー」

とげんなりした気持ちでした。

 

正直に言うと、数年の内に義父が鉄面皮をぶら下げて帰ってくることは

余裕で想定の範囲内だったので、二年間幸せだったぜあばよ…と、

潔く一人暮らしを始める準備を始めました。

 

できれば和歌山市内の便利がいいところがいいなあ、と母に相談すると、

母もそれがいいよ、と一緒に物件を探してくれることになったので、

いきなりの帰還宣言ながらもなんとかなるだろうと思ってたワイが甘かったんだよ。

 

 

 

唐突なBBAの介入

 

クソ息子の親はもれなくクソ親、な義祖母の登場です。

義父が大阪に戻るまで、

 

「義父クソ丸(偽名。命名 ねこけつ)がねこけつに虐待!?

そんなことするわけないやろ!!いい加減にしいやくぁwせdrftgyふじこlp」

 

というスタンスでしたが、いざ義父が実家に戻ると

日頃のふるまいが如何に暴君であるか改めてわかったのか、

 

「義父クソ丸(偽名)は変わってしもうた。昔はあんなにええ子やったのに…」

 

と、こちらの意見を受け入れるようになり、

早く家から出て行って欲しいと嘆くようになりました。都合よすぎかよくあせふじこ

 

まあ、そこまでは良かったのです。

ですが! なぜか今回ねこけつの一人暮らし問題に突如参入し、

 

「家を借りるなんてお金がかかる!そんなんやったら家においで!」

 

などと言い出したのです。

てめえ何を…という間もなく母は賛同してしまい、

あえなくねこけつは大阪の実家で暮らすことになってしまったのでした…。

 

 

 

義父の実家暮らし 人生サイテーの時期

 

最初に言うと、私は義父の実家がわりと結構吐くほど嫌いです。

もう一度住まなければならなくなるとしたら真剣に自殺を考えるくらいには嫌いです。

ていうかそもそも場所も嫌いです(根本的

 

場所は大阪府K市T町というのですが、

周りから隔絶されたように交通の便が悪く

住宅街で結構人が住んでいるのにも関わらず、

真昼間でもひっそり静まり返った不気味な場所です。

 

良いことといえば役所の人が優しいことくらいかな。

今住んでる堺市中区の役所は対応最悪で〜す‼︎(アヘ顔ダブルピース 

 

義祖父母自身にもたくさん問題がありました。

まず義祖父はことなかれ主義で、何事も自分に損がないように穏便に済ませたい奴。

義祖母に至っては平気で人の悪口を聞こえるように喚き散らすし、

腐った食事を平気で出すし、お風呂は洗わないしで、

人として最悪な部分を兼ね備えたある意味パーフェクトBBAでした。

 

まだ自分で食事を作れたらいいのですが、現実そう言った許可ももらえず、

不潔で醜悪な人間と町に日を見るごとに疲弊していきました。

そして二週間ほど経った頃、完全に生きながら死んだ人間と化してしまいました。

 

 

 

やってらんねえぞ…何としてでも引っ越すんじゃ!!!

 

母は一年耐えて欲しい、そうすればまた何か変わるから。

と悠長なことばかりぬかしましたが、

当の本人からすれば

「後11ヶ月もこんなところに居ろなんて死刑宣告同然だ……」

という感じでした。

てか普通の人間はいきなり不潔な人間とは住めないね、無理。

 

そういうわけでなんとか(進学予定先の住所に)引っ越すべくねこけつが取った行動は、

 

とことん義祖父母に反抗する

 

これ一つでした。

 

明らかに筋の通らない意見を言われた時は激しく言い返し、

悪口を言われれば

 

「面と向かって言えねえのかBBAくぁwせふじこ」

 

と言い返し、

とことん反抗を繰り返しました。

 

 

 

激しく疲弊していった義祖父母。圧倒的勝利ッ

 

二十代の若者に何を言っても噛みつかれ完全論破される日々…

そんな毎日に義祖父母は目に見えるほどやつれていきました。

そしてひと月経った頃、BBAは母に

 

「ねこけつは一人暮らししたほうがいい。もう一緒に住めない」

 

と泣きついたそうです。ザwwマアwwww

そして、さっさと出て行って欲しいから…と、

引越しの初期費用には非常に少ない22万という金を渡して

ねこけつはスタコラサッサと堺に引っ越したのでした。

 

 

 

お引越し、猫、現在。

 

そして今は堺に住んでいます。

引っ越してから数ヶ月経った秋の中頃、和歌山の猫カフェで満月千代(みつ)を迎え、

その二ヶ月後に陽蜜(ひな)を迎え、Kさんに出会い現在に至ります。

 

正直、今とっても幸せです。

色々やらなきゃいけないことはあるんですが(就職とか結婚準備とか)、

愛するみつひなとKさんに囲まれて日々過ごせている。という事に対して

今まで生きてきたことに意味はあったんだな…生きてて良かった…

と深く感じています。

 

ちなみに、義父が今どうなってるか気になりますよね?

義父はガンで亡くなりました。

今年の春先の事です。

情も何もないと言われるかもしれませんが、どう考えても自業自得だと思いました。

 

逆に、家族やそれ以外の人たちに多大な迷惑をかけてきといて

よくここまで生き残ってきたな、と思うくらいです。

 

昨年の秋冬頃から急激に容体が悪くなり、最後は呼吸をすることもままならない状態でした。

葬式の時も特に悲しくなることもなく、

さめざめ泣く周りの親戚一同を何の感情も湧かない目をしてずっと見ていました

(死んだ魚のような目、だったかもしれません!)。

 

 

繰り返しますが、今すごーく幸せです!✨✨

自分の生活があり、猫と婚約者がいますもの。

 

義父が死んだ事については、

そういう定めだったのだと私の中で一区切りついています。

居を別してから、向こうから恨み言などがなければ義父のことを思い出すことも

一切ありませんでしたから、これからもほぼないでしょう。

 

ここからは自分で自分の人生を作っていけるのだと思うと、

大変だし辛いとも思うけど反面、正直とてもワクワクしています。

このブログも私の人生のひとつとして、鋭意取り組み中(?)です!

 

最後に、こんなねこけつまみれのブログが続いているのはひとえに読者の皆様のおかげです。

これからも頑張っていきますので、ねこのおしりをどうぞ宜しくお願いします〜!!